自転的SF/他動的SF

日本のセックスフレンドと言う言葉はいつの間にか一般常識の範疇におかれるようになり、その存在に対して賛否両論備えられるのはとうぜんのことである。この言葉の定義にはまず恋愛感情がないことを第一として、性行為だけを目的とした関係にあること。なので、無駄な交際費用がかかることがなく、不必要に相手に束縛されずにすむ関係といったところがお互いのメリットとされているのが特徴だ。島国だった日本は、初めて西洋人が訪れるその時まで一般庶民には外国の素性など知る余地もなく、米を収めるためにせっせと働いては飯の後には性行為をすることぐらいしか他に仕事がないのだ。それは貧しい農民であるほど、存分に飯を食えなかったのだ。生きるエネルギーを蓄えるには性欲を満たすしか方法がなかった。今でも、根本的な男女のその馴れ初めは今現在でも変わらないだろう。今なお、その時代の風習を取り入れている遊郭(今でいう、風俗店・ソープなど)だが、これは日本がどのくらい前の時代から'あそびめ(遊女)'への需要が高かったかが窺える。貧しい農民には、払える金もないのだ。'あそびめ'の所へ行く事ができない男と、'あそびめ'としては汚すぎる女が出会いを求め会うこともしばしばだったのだ。'あそびめ'の役割としては、もちろん今でいう風俗嬢のようなものなので、遊郭につとめる彼女たちのなかでも高級な女性としてあつかわれる者もいたほど。江戸時代には日本の代表的な娯楽の位置づけだった。後半に入ると農民でも出入りが出来るほどの大衆化されるようになったが、次第に取り締まりが厳しくなり公に営業できなくなってしまう。それでも需要の高いこれらの存在は今でもひっそりと残されている。男性・女性の性欲はどんなに時代が変わっても変動しなかったのだろう。そのかわり、お金の発生しない存在である「セフレ(セックスフレンド)」が堂々と存在するようになったのだろう。しかしこの制度、まったくもって交換条件が一致していなければ成立しない関係であるようで実は「セフレ」という目的地が同じであるだけで、そこに至るまでの過程は異なっているのだ。どちらも'ボランティア活動'のようなものなのだ。ボランティアと言えばセックスボランティアという話を聞いたことがある。要するに本当のボランティア活動で、対象が知的障害者や身体障害者などの健常者ではない人が、自分自身では性欲を満たす事が出来ない人のために手助けする人がいると言う。実際の性行為はないが、これは事実上風俗営業という扱いになるのだ。一見ボランティアのような発言をしているが障害者を対象としたれっきとした'風俗店'なので優良であることがわかっている。障害者にとって、生理的に湧いてくるこの性欲は人間である以上避けられない事であるからこそ、その存在を重要視されてもおかしな話ではない。だって、障害者でも脳が働いている以上「欲」をかき消す事はできませんから。きっと頭の良い人が考えた新しい事業でしょうか?性を生真面目に考えた答えがコレということですね。

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